3/11(金)

通常通りの勤務。翌週14日から予定していた製品の品質検査に向けての最終準備中。12日(土)も休日出勤で対応予定であった。


14:46
携帯に緊急地震速報が届く。と、同時に地震発生。最初はいつもの揺れと同じくらい(震度2〜3)に感じていたが、その揺れは一向におさまる気配なく、また時間とともに強さをましていく。


私の職場は13階ビルの10階に位置し、またビルの構造上、高いほど揺れる傾向にある。したがって、(普段の)震度3程度の揺れでもかなりの揺れを感じる。パソコン、書類、飲みかけの飲料など、全てが散乱し、揺れがおさまるまで、机の下に避難した。


14:50ころ
揺れがおさまったところで、ビルから避難する。スーツ、上着が見当たらず(これは後ほど回収できた)、非常に寒かった。その後、同僚の無事を確認し、近くの勾当台公園に避難。ワンセグをチェックしていた同僚から、宮城北部で震度7(仙台地区は6強?)という情報を得る。


15:20ころ
会社、および所属する部署から今日は解散という連絡を受ける。当然、地下鉄も止まっているため、会社から自宅のある泉中央までの約8kほどを徒歩で帰宅することに。この距離は普段、走っている私にとってはたいした距離ではなかったが、ところどころに見える道路のヒビ、断層、粉々になったガラスに今回の地震の強さを感じさせる。


17:00ころ
この間、電話は全くつながらなかったが、幸いにもツイッターには接続できた。とりあえず、無事であることを報告する。帰宅途中、一時かなり強い吹雪となったが、なんとか自宅まで到着することができた。自宅もかなりの散乱状態となっていたが、幸いどこかが故障しているということはなかった。この時点で電気NG、水道はかろうじてOK(後にすぐ断水となった)、ガスNG。電話はつながっていた。ここで福島の実家に連絡が取れ、家族全員の無事を確認する。


携帯の電源もメモリが残1つとなり、とにかく情報が知りたかったので、近くの泉区役所に足を運んだ。非常用電源により電気は確保されていた。19時ごろ非常用のクラッカーと水を受け取る。


21:00ころ
帰宅。真っ暗で何もすることができないため、布団の中に入る。幸い我が家は、寝床がロフトにあるため、寝床は全くあらされていなかった。不幸中の幸い。幾度とない余震に不安を感じずつもなんとか寝ることができた。トイレに目を覚ます回数が異様に多かった。